
*参考文献 品川歴史観紀要 第19号より
この地より高台に向かう一帯には、越前国(現・福井県)間部下総守の下屋敷があった。
もともとは、万治元年(1658年)に仙台藩伊達家が麻布(現、港区)下屋敷を返上して、新たに大井村に拝領した下屋敷であった。この屋敷内には高尾太夫の器を埋めたという塚があり、その上には一株の枝垂梅があったと伝えられている。
元文2年(1737年)に、鯖江藩間部家大崎屋敷と伊達家品川屋敷の一部を交換し、間部家の下屋敷となった。その後、一部は再び伊達家の所有になった。
安政2年(1855)頃の鯖江藩主間部下総守詮勝は5万石の家禄があり上屋敷は常磐橋御門内(現・千代田区大手町)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は、安政三年頃のもの 品川区教育委員会
